一般財団法人
                      大亀和尚民芸館
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H O M E 利 用 案 内 展 示 会 案 内 展  示  品 民芸館について 香久山古墳 L I N K
  ■ 香久山古墳
 
香久山古墳 (イラスト:藤本まさや氏)
  
香久山古墳 遠景
  大亀和尚民芸館の裏山に相当するところが香久山古
 墳(=松源院香具山古墳)の墳丘です。民芸館から5分
 ほど山道を登れば古墳を自由に見学することが出来ま
 す。

 (ご注意)2015年3月現在、玄室内に落石が見つかっています。
  安全が確認されるまで、古墳内への立ち入りはお控えください。
  詳しくは右記までお問い合わせください。

    
              0745-83-0977(文化会館)
   阿紀神社(左の杜)の右奥白壁が、松源院(入れませ
 ん)。
その右向かいに民芸館、その右、写真中央の小高
 い丘頂近くの雑木山が墳丘です。

  宇陀地方では、少なくとも数十基の前方後円墳を含む
 古墳が発見されている。この香久山古墳が存在する岩
 室谷川から本郷川に至る狭い領域だけでも、香久山古
 墳およびカミリ尾古墳を含め、数基の古墳がある。香久
 山古墳は横穴式石室を主体とする古墳で、昭和58年(
 1983)に発掘調査された。その報告によると外部直径1
 8メートルの円墳となっているが、前方後円墳である可 
 能性は否定されていない。

  主体部である横穴式石室は北23度方向を主軸方向
 とし、南面に開口している。その規模は、羨道の幅1.2
 〜1.3メートル、高さ1.4メートル、奥行き4.72メート
 ル。玄室の長さ、西側で3.88メートル、東側3.6メー
 トル、幅は奥壁部で2.06メートル、玄門部で1.94メ
 ートル、袖部は東側が0.38メートル、西側が0.34メ
 ートルの両袖式構造とっており、玄室の高さは3メートル
 ある。この石室は旧宇陀郡内の古墳では最大規模のも
 のとされる。副葬品としては須恵器、高坏など破片を含
 め十数個、土師器、鉄鏃、耳輪などのほか、埋葬用木
 棺に用いたと思われる鉄釘16本が見つかっている。被
 葬者は不明。築造は6世紀後半と考えられる

                  
参考資料: (大宇陀町史 平成4年)

 * 用語解説
 ・ 羨道(せんどう、エンドウとも): 横穴式石室の玄室と
  外部とをつなぐ通路部分。
 ・ 玄室(げんしつ):横穴式石室の主要部分で、棺を納 
  める室。
 ・ 須恵(=陶器)(すえき):古墳時代後期から奈良・
  平安時代に行われた、大陸系技術による素焼の土器
   。良質粘土で、成形にはろくろを使用、あな窯を使い
  高温の還元炎で焼くため暗青色を呈するのが一般。
  食器や貯蔵用の壺・甕が多く、祭器もある。

                           (広辞苑第五版による)


 (古墳時代における香具山古墳の位置づけ)
   古墳時代とは、弥生時代が終わる三世紀半ばから六
 世紀末、飛鳥時代に至る約三世紀半続いたわが国古
 代の 一時期を指しています。日本独特の前方後円墳は
 、円墳とともにすでに古墳時代の初期から造られていま
 した。
  最も早期の前方後円墳には卑弥呼の墓ではないかと
 される奈良県桜井市の箸墓古墳などがあります。五世
 紀になると、大規模な前方後円墳がいくつも造られるよ
 うになり、中でも大阪府堺市の仁徳陵は世界最大の墳
 墓として有名です。前方後円墳、円墳いずれの場合で 
 も、棺は円墳部分の中心から真下に向かっ掘った竪穴
 の底部に石で囲った墓室を造って安置しました。この様
 式を竪穴式と呼びます

   時代が下るに従って、石組みによって築いた羨道と
 玄室をもつ墳墓が造られるようになりました。横穴式と
 呼びます。六世紀に造られ、巨大前方後円墳としては 
 最後のものだとされている奈良県橿原市の丸山古墳は
 この横穴式の古墳です。先に述べた五世紀を代表する
 巨大な前方後円墳群や、それより以前の古墳は竪穴式
 ですから墓室は円墳部中央の真下に位置しています。
   これに対し、丸山古墳では玄室、つまり墓室は、真ん
 中ではなく、入り口(羨門)側に近く偏った位置にありま
 す。人力ではとうてい動かせないほどの大きな自然石を
 いくつも組み合わせて横穴を築造するのですから、その
 規模に自ずと限界が生じたことは想像に難くありません
  。それが理由かどうかはわかりませんが、ともかく、墓
 室に到るアクセスの築造方法が墓室の位置に影響した
 ことだけは確かなようです。

  横穴式の古墳が造られるようになると、巨大な古墳は
 急速に姿を消して、岩石、それも出来るだけ大きな自然
 石を積むことそれ自体が古墳の本体として重視されるよ
 うになりました。巨石へのこだわりは私たちの祖先が、
 巨大な自然物にはあまねく神が宿ると考えて崇拝してい
 たことを物語っているようです。その究極の姿は奈良県
 明日香村の石舞台古墳にみることができます。石舞台
 古墳は古墳時代の掉尾、七世紀初頭に造られました。
 蘇我馬子の墓だといわれています。造られた当初の墳
 丘は失われ、いまは露出した壮大な石組みだけの遺跡
 になっています。

  ひるがえって香具山古墳は、墳丘が残っていることや
 、規模が小さいことなどいくつかの点で違いはあるにせ
 よ、その基本的な構造は石舞台古墳と同じです。香具
 山古墳が造られてから間もなく、わが国は輝かしい飛鳥
 時代を迎えることになります。
       
(この項管理者:Dr. Takatoshi .Inoue M.D & Ph.D,

 (日本の古墳について最も優れた研究者はイギリス人
 冶金技士ガウランド【William Gowland1842-1922】です
 。)
  彼は明治の初期、まだ宮内庁による立ち入り規制が
 なされる以前のいくつかの古墳を調査することが出来ま
 した。ガウランドはまた、”日本アルプス”の命名者として
 も知られています。)
 

 古墳内部の写真)

 入り口 (羨門)



 羨道と奥の玄室



玄室北西角天井付近の石組み



 玄室から見た羨道と開口部(南)
              4写真:Dr. Takatoshi .Inoue M.D & Ph.D,



(本古墳から完全な形で出土した須恵器のひとつを   
           大亀和尚民芸館で展示しています。)
             

                
 

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